エリクソンの発達段階

最近エリクソンの発達段階という理論を知りました。エリクソンといえばアイデンティティ心理的モラトリアムという概念を考えたことで有名です。私も青年期はアイデンティティの確立に非常に苦労しました。モラトリアムの期間も普通の人より長かった…

今もモラトリアムのような時間を過ごしているともいえますが、あの頃とはまた違う感じです。そんな中、何で知ったのか忘れましたが、発達段階という理論を知りました。はじめて知った時は、青年期の私にこの理論を教えてあげたいと思いました。お前の考えていることは大体の人が通る道らしいよ、そんな考え込むなよって言ってあげたい。でも知らなかったからこそ、もがき苦しんで、今の感じに仕上がったと思えば、知らなくてもよかったのかなとも。どっちやねん!ということなんですが、それは置いときましょう。

この理論を知って、次に思ったのが、私の周りにいる人は今どの段階にいるんだろうということでした。お前如きに規定されたくないわ!というのは最もですが、私の周りには様々な年代の方がいるので、どのあたりかな〜と考えるのは非常に面白かったです。その人の言動で、この辺りかな〜と予想していったのですが、ある程度は発達段階で分けられている年齢相当でした。でもやはり年齢と段階が違うかなと思う人もいて…人間っておもしろい!そしてこんな理論を考える先人たちはとてつもないなと思わずにはいられませんでした。

最近本を読んでいてルサンチマンについても再考する機会があり、やっぱり私は哲学や心理学の領域に興味、関心があるんだなと再認識。なんかこの頃再認識することが多い。それだけ人間として歳を重ねたのだなと思うと感慨深いような深くないような。

エリクソンの発達段階を意識しつつ孔子の、

「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」

みたいに生きれるようにがんばろう。